宮川家のルーツを辿る旅
ホテルの屋上から眺める紋別港・・・。
その向こうはオホーツク海・・・・。
冬になれば流氷が接岸するという
ここ紋別・・・・・・。
ここでコンサートを行うのには
深い理由があった。
『銀色の道』のメロディーが流れる
記念碑・・・・。
説明を食い入るように見つめる
彬良さん・・・・・。
其処に書かれている文言とは・・・・。
彬良さんの父『宮川泰』さんが作曲した
『銀色の道』についての説明書きが・・・・。
私がこの『銀色の道』を初めて聴いたのは
今から45年くらい前の小学生の頃だった。
日曜日のお昼ごろによくテレビから
流れていたように記憶している・・・・。
シンプルなメロディラインながら、
転調をくり返し、果てしなく続く力強さを感じることができる曲だ。
この曲が宮川泰先生の作曲だと知ったのは、それから10年後の大学生の時だった。
今もこの『銀色の道』を聴くと小学生の時の自分を思い出す。
そんな、私にとって思い出の曲でもある『銀色の道』・・・・・。
そのルーツを見つける旅、今回偶然ではない縁を感じて、遂に辿りついた場所だ・・・。
宮川泰さんの父、つまり彬良さんの祖父
宮川登さんがこの地で、技師として
働いていたということで、泰さんは小学校
時代をここで過ごした。いまはその金鉱は
閉鎖され、賑わった街もなくなり、
自然の中に回帰していっている風情・・・・。
そのなかに『銀色の道』の記念碑はある。
いまでは此処に、街があり、
喜びがあり、悲しみがあり
人々の営みがあったのだという
ことさえ感じることができないほど、
時が経っているということなのか・・・・・。
資料館へ行くと、彬良さんの祖父
登さんの写真が・・・・・。
私が訳もわからず聴いていた
『銀色の道』が作られるずっと前から
『銀色の道』は作曲される運命で
あったのではないだろうか?・・・・・・。
そんな思いがこみ上げてきた瞬間だった。
彬良さんが写真を撮っているのは
『みやがわばし』この名は偶然ではなく
宮川登、宮川泰、宮川彬良三代の
宮川の名を冠した橋である。
『遂に、ここまできたね~!』
と感慨ひとしおの二人・・・・・。
ここからが本当の出発かも知れない
そんな、想いが・・・・・・。
2011/10/8
« 二人のオーケストラ紋別公演 | トップページ | 二人のオーケストラ岡山勝山 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- スペシャルな新年(2019.01.08)
- 疾走(2017.06.13)
- 再開(2017.04.23)
- アンサンブル・ベガ in 小豆島(2016.06.08)
- アンサンブル・ベガ石巻公演(2016.06.02)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント