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2011年10月

二人のオーケストラ東郷公演

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今日の『二人のオーケストラ』は

愛知県愛知郡東郷町の東郷町民会館。

町民会館という名前からは想像できない

かなりいい感じの劇場です。

浜松からは一時間ほどで来ることが

できる東郷町。毎週通っている大学の

近くなので通勤圏内って感じです。

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ホールは多目的に作られていて、

反響板は後から増設されたそうです。

『二人のオーケストラ』にとっては

もう少し響き感が欲しかったので、

ホール備品の金屏風を一双(屏風の場合

2枚で一双といいます)お借りして、

反響板の隙間を塞いで反響をすこし

変えると、かなりいい感じになってきました。

その屏風も裏と表で違いがあり、テストの結果、

金の方を使うとリッチな音になることが判明!

アイディアがすぐに結果に繋がる現場は面白い!!!!

でも、これは経験と音を聴きわけられる耳がないとできません。

だだ響きが欲しいからと、屏風を立てても逆効果になる場合も・・・・・・。

彬良さん曰く『知恵がついてきたネェ~・・・・・』

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本番では、『ここは大阪か?』って感じの

乗りの良いお客さんが一杯でした。

演奏も素晴らしく、大いに楽しんで

頂けたのではないでしょうか。

今日の私のお気に入りは

『ふるさと』の前に演奏する

『Gergia on my mind』だった。

いつもより抑えめに入った彬良さんのイントロに、

平原さんが反応して、すっごくメローなGergia~を聴くことができた。

これがジャズのセッションの醍醐味だ!

そのときどきの感じたままを、演奏に反映していく音楽こそ、真の音楽だと思う。

そのときの演奏は二度とできない。

すべてが一期一会で成立している世界だと、改めて思った・・・・・・・。

2011/10/30

クリニック

11月3日に行われる『ザ・ロウボーイズ』浜松公演に先駆けて、コントラバスの新さんと、

チェロの近藤さんによるクリニックが行われた。

いつものコンサートの現場では見ることが出来ない、お二人のいつもと違う顔を

見ることができた。

コンサートでは演奏家としての姿勢を徹頭徹尾なまでに貫く二人・・・・・・・。

しかし、クリニックは『これで、これだけ変わります』的な魔法の薬が一杯だった。

楽器をやっていない私にとっても、目から鱗が落ちるようなお話しに

アッという間に時間が過ぎていきました。

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新さんは楽器を演奏している時とは

うって変わって大学の講義のように

クリニックを進めていた。

しかし、その内容は大学では

絶対教えてくれない内容らしい・・・・・。

受講生はそのマル秘テクニックを

自分の物にしようと頑張っていた。

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近藤さんのクリニックも予定時間を

大幅にオーバーする熱い指導だった。

そんな二人が繰り広げる

『ザ・ロウボーイズ』浜松公演は

11月3日(木・祝) 14:30開演

アクトシティ浜松音楽工房ホール

入場料 1000円 

2011/10/29

ダンス!

ダンスの仕事はクラシックバレエ、モダン、ジャズダンス、ヒップホップ、フラメンコ等

どれも好きでやらせて頂いているが、なかでも一番やりたいのがジャズダンスです。

それも、正当派ステージダンスといわれるジャンルが一番好きです。

昭和の良き時代に、歌謡ショーで歌って踊るタレントよりも、バックで踊っている

ダンサー達に魅せられてから長いこと経ちますが、今もそのときの気持ちに

変わりはありません。その時代と今とでは使われている音楽が違います。

ジャズダンスというからには音楽は当然ジャズが基本です。

ここのスタジオの先生達は本当に、その時代を過ごしてきたのがよくわかる、

選曲と振り付けです。

良いものはいつになっても良い・・・・・・。

新しい物が良いとは限らない・・・・・・・。

確かな気持ちが重要です。

照明もコンピューターを使わず、手作業のアナログ的なプランでやることで、

その良き時代のステージダンスを再現しています。

『アナログ万歳!!』

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2011/10/23

二人のオーケストラ岡山勝山

10月14日にクローズドで行われた『二人のオーケストラ』のレポートを

遅ればせながら・・・。

岡山県立勝山高等学校の創立100周年記念での公演です。

勝山という地名は縁起がいいこともあり、日本全国に数多くありますが、

ここの勝山は古くからの城下町ということで、古来由来、正真正銘の勝山です。

浜松から諸事情により、車で行くこととなり前日の朝9時に家を出た。

折しも高速道路の集中工事の真っ直中ということもあり、8時間くらいかかりました。

ホールへ行って打合せをしていると、平原まことさんも到着し、ピアノのセット位置や

サックスのサウンドチェックなどを二人で入念に行い、いい感じでで響くポイントを

見つけだしホールを後にした。

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左は当日のゲネプロの様子ですが、

センスが光る照明に、

彬良さんも平原さんも感心しきり・・・・・。

そんな素敵な照明に包まれながら、

『二人のオーケストラ』は奏でる・・・・・。

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前日に平原さんと決めたポイントは

寸分の狂いもなく、理想的なサウンドを

生み出した・・・・・。

平原さんのテナーが奏でる『ふるさと』

3.11の直後から何回も聴いているが

いつもいつも、全てのひとにそのメッセージ

が伝わる演奏だ。

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お客さんは中間テストが終わったばかりの

ホッとした表情の生徒さんたちと、

父兄の皆さんでしたが、最初から最後まで

息を呑むように聴き入って頂き、

ありがとうございました。

コンサートの最後は、

ほのぼの感漂う二人のメモリーズ オブ ユーでした。

2011/10/15 

宮川家のルーツを辿る旅

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ホテルの屋上から眺める紋別港・・・。

その向こうはオホーツク海・・・・。

冬になれば流氷が接岸するという

ここ紋別・・・・・・。

ここでコンサートを行うのには

深い理由があった。

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『銀色の道』のメロディーが流れる

記念碑・・・・。

説明を食い入るように見つめる

彬良さん・・・・・。

其処に書かれている文言とは・・・・。

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彬良さんの父『宮川泰』さんが作曲した

『銀色の道』についての説明書きが・・・・。

私がこの『銀色の道』を初めて聴いたのは

今から45年くらい前の小学生の頃だった。

日曜日のお昼ごろによくテレビから

流れていたように記憶している・・・・。

シンプルなメロディラインながら、

転調をくり返し、果てしなく続く力強さを感じることができる曲だ。

この曲が宮川泰先生の作曲だと知ったのは、それから10年後の大学生の時だった。

今もこの『銀色の道』を聴くと小学生の時の自分を思い出す。

そんな、私にとって思い出の曲でもある『銀色の道』・・・・・。

そのルーツを見つける旅、今回偶然ではない縁を感じて、遂に辿りついた場所だ・・・。

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宮川泰さんの父、つまり彬良さんの祖父

宮川登さんがこの地で、技師として

働いていたということで、泰さんは小学校

時代をここで過ごした。いまはその金鉱は

閉鎖され、賑わった街もなくなり、

自然の中に回帰していっている風情・・・・。

そのなかに『銀色の道』の記念碑はある。

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いまでは此処に、街があり、

喜びがあり、悲しみがあり

人々の営みがあったのだという

ことさえ感じることができないほど、

時が経っているということなのか・・・・・。

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資料館へ行くと、彬良さんの祖父

登さんの写真が・・・・・。

私が訳もわからず聴いていた

『銀色の道』が作られるずっと前から

『銀色の道』は作曲される運命で

あったのではないだろうか?・・・・・・。

そんな思いがこみ上げてきた瞬間だった。

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彬良さんが写真を撮っているのは

『みやがわばし』この名は偶然ではなく

宮川登、宮川泰、宮川彬良三代の

宮川の名を冠した橋である。

Photo_14 『遂に、ここまできたね~!』

と感慨ひとしおの二人・・・・・。

ここからが本当の出発かも知れない

そんな、想いが・・・・・・。

2011/10/8

二人のオーケストラ紋別公演

ここ2ヶ月くらい休暇を取った記憶が無く、気が付いたらもう10月も半ばになっていた。

ここに書く材料は余りあるほどなのに・・・・・・・。季節の移ろいも感じない日々・・・・。

遅ればせながら『二人のオーケストラ紋別公演』のレポートなどを・・・・・・・。

朝、小学校へ向かう娘と一緒に家を出た。その後浜松から羽田空港へ向かい、

紋別まで移動、ホールへ行き昼食を頂き、スタッフ打合せ、リハーサル、そして本番、

懇親会・・・・・・。と ここまで一日で出来るとは驚きだった。普段浜松という地方都市に

住んでいる私にとって、北海道(それも紋別)へ乗り打ち(業界用語で移動して本番)

で仕事ができるなんて考えもしなかったことです。

いゃ~日本は広いのか狭いのか良く解らない。

そんなこんなで、その名もオホーツク紋別空港

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広大な北の大地に滑走路が美しいこの飛行場・・・・・。

羽田~紋別一日一便だけという、ミニマムで可愛い空港ビル。

OKHOTSK MONBETSU のスペルもかっこいい!

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空港からの移動は、なんと大型観光バスがチャーターされていた。

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燦然と輝く『アキラさんとまこと君二人のオーケストラ』御一行様の文字。

出演者、スタッフ一行5人を乗せた大型観光バスはホールへ向かった。

会場の紋別市民会館は築40年以上の昭和色豊かな建物だった。

老練で味がある雰囲気を醸し出す造り・・・・・・。

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初めて行く会館は、当然音を出してみないと音響の特性が解りません。

楽器や立ち位置を変えたりしながら、ポイントを絞り込んでいきます。

基本は生音重視のアコースティックですが、そのほかの選択支も考えながら

その会場で『二人のオーケストラ』を楽しんで頂ける環境を創り上げるのが

スタッフの使命だと考えます。会館スタッフの皆さんの経験や知識も重要な

ファクターです。浜松に住んでいる舞台監督と、紋別に住んでいる音響、照明さんが

お互いベストを尽くすわけです・・・・。

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舞台という物は、いろいろな偶然と必然で成り立っているのだ・・・・・。

そして『銀色の道』へとつづく・・・・・・。

2011/10/7

二人のオーケストラ in 那須野が原

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いままでアキラ塾やアンサンブルベガの

公演で何度かお世話になっている、

那須野が原ハーモニーホールに

『二人のオーケストラ』初見参です!

今年のベガニューイヤーでも

来ているのですが、3月の東日本大震災

の影響で大ホールに甚大な被害を受け

最近までその修復工事をおこなっていたそうです。

ホールの外観も内部も、いつもと何ら変わらないように見えましたが、スタッフの方に

聞くと大変な状況だったようです。スプリンクラーの配管が外れて水びたしに

なったり、天井がはがれたりと・・・・・・・。

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左の建物は小ホールの外観ですが、

小ホールの方はなんと無傷だった

そうです。この円球のなかにホールが

あるわけですが、デザイン性だけでなく

強度も備わった建物としての存在感を

しっかり主張しているように見えます。

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さて、被害の大きかった大ホールですが、

実際の音でサウンドチェックをしてみると

これが、「あ~ら不思議!」音が素晴らしい

ことになっているではありませんか!

今年のお正月にきているので、

その時の感覚はまだ記憶に残っている

はずなのに、予想を遙かに超える

サウンドの違い!宮川彬良さんもその違いにすぐに気づいた・・・・・。

被害をうけたところを直しただけで、こんなにサウンドが変わるものなのか?

じつは、私には思い当たるふしがある・・・・・・。以前、勤務していたホールで

スプリンクラーが作動する事故が発生したことがあり、その事故の復旧後に

同じようにサウンドが良くなった感じがしたことがあった。

そのときは、根拠のない感覚的なことだけで人に話すことができなかったのですが、

この変化は、まさしくそのときの感覚と同じ感じだ!

これを理論的、物理的に説明できれば学会で発表しよう・・・・・。な~んちゃって

そんな大いなる妄想はさておき、『アキラさんとまことくん-二人のオーケストラ-』は

この素晴らしい環境の中で、いつもの壮大なる『二人のオーケストラ』を奏でた。

ホールだけでなく、ここに住んでいる人たちにも大きな被害を与えた大震災・・・・・。

音楽を楽しもうって、気持ちには、まだまだなれないかも知れませんが、

そこにこそ音楽の持つ根元としての意味があるのかも知れない・・・・・・。

2011/10/2

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